朝もやの風景 / Scenery in the morning mist
芸北に続いての風景写真だが、最近は被写体が鳥に偏重しているので、風景写真を撮影する機会は減っている。両方を行き来して思うのは、どちらにもそれ相応の難しさがあるということだ。野鳥はそもそも同じ場所にいつもいるわけではないので、宝探しの要素が強い。その代わり出会って、そこそこ綺麗に撮れるだけで一定の満足感が得られる。一方、風景は基本的にいつもそこにあって、野鳥のように逃げるわけでもない。その分、ただ撮るだけで満足できることはほとんどなく、天候や光などの偶然のいたずらがどうしても欲しくなる。
私的には、どちらかというと風景撮影のほうが修業的でストイックな活動だ。考えてみると、野鳥は鳥見、バードウォッチングだけで一つの活動として成立するが、風景見が趣味ですなんて言葉は聞いたことがない。つまり野鳥撮影は一粒で二度おいしい活動なのである。(ただし、野鳥撮影に風景写真的こだわりを持ち込みすぎると、偶然性の二乗になってぶっちぎりの修業と化してしまうだろう)
秋になり朝が冷え込むようになると、山間部はよく朝もやが出る。靄(もや)なのか霧(きり)なのか、実は曖昧な感覚でしか区別していないが、気象用語的には視程で判断するらしい。視程1km~10kmが靄、視程1km未満が霧である。でもこれって、自分がその中にいることが前提の区分ではなかろうか。雲のような微小な水滴の塊がデンと目の前に広がっているが、雲というには低すぎる。真っ白で見通せないことが多いので、霧と呼んだ方が適切なのかもしれない。
風景といいつつ、鳥が飛ぶと撮りたくなるのはもう習性。
こちらも良く見ると鳥が…。両方とも、ハシブトガラスかハシボソガラスのペアのように見える。
85mm f1.4はポートレートレンズとして良く知られているが、これで自然や風景を撮るのも気に入っている(そもそもあまりポートレートを撮らないのに、なぜか持っている)。中望遠のうえf16までしかないので、被写界深度を稼ぐのには向かないし、そもそもその用途でf1.4も要らないのでは、と突っ込めてしまうのだが、とにかく気に入っている。前回ポストの芸北でも大活躍だ。
雲、というか霧。
ホトケノザ。
この霧はほんの数分で消えてしまうこともあるので、発見してから移動していると、大抵イメージが変わってしまう。